
第2章 再会
2人とも大学時代はバスケットボール部、野球部に所属するスポーツ選手でしたね。2人の共通点は部活で大学を選んだということですが。
辻:そうですね。私は医学部を受験することを決めた後、まずバスケットボールでインカレに出場できる学校はどこか探しました。いくつか候補を絞ったのですが、結局、北海道大学を目指すことにしました。実際にインカレにも出場できたので、大正解でした。
布施:私も野球をやるために大学を選びました。というよりは、早慶戦に出場するために大学を選んだといったほうが適切かも知れません。小さいころから、早慶戦に出るんだという想いが強かったんです。しかも慶應大学のユニフォームを着てです。高校はライバル校の早稲田実業だったのですが、受験して慶應大学に入学しました。
辻:早稲田から慶応へというのは、なかなか珍しいんじゃないの?
布施:確かにそうですね。それでも歴代2人いて、私が入学した時の4年生にもいたんです。それに、なぜか小さいころから慶應大学で出場していることしか考えていなかったので、周りからは珍しいといわれるんですが、私にとってはごく普通の決断でした。
先生も医学部に通うだけで勉強が大変なはずなのに、インカレに出るほどバスケに打ち込んでいてハードな日々だったんでしょうね。
辻:ハードでしたね。ただ、大学時代は勉強よりバスケが中心の生活でした。1年生から6年生の夏まではバスケしかやってないです。その分、6年生の卒業試験や、国家試験の時は人の倍は勉強しましたね。
やはり二人とも人生の局所での決断には、スポーツが関係しているんですね。
辻先生は『病気』を扱うドクターから、「心」を扱うスポーツドクターへの転身をしました。
そのいきさつを教えてください。
辻:北海道大学を卒業して、慶應大学病院で内科医をやっていました。来診の患者さんたちを治療しているときに、薬を出したり、私が医療行為をすることでもちろん治るのですが、それより、15分しゃべったほうが患者さんが元気になることに気づいたんです。その時に、病気を治す『スキル』ももちろん、『心』の大切さは肌身にしみて感じていたのかも知れません。
そんなとき、大学のバスケ部の先輩からバスケットボール協会の医科学研究部で仕事をしないかというお誘いが舞い込んできて。ちょうど、自分のやりたいこと好きなことはやっぱりスポーツにあるんじゃないかと揺らいでいた時だったので、快くお受けすることになり、バスケットボール協会のメディカルドクターをやることになりました。
病気を扱うドクター中心の生活から、徐々にスポーツへ近づいてきましたね。
辻:もう一つ大きな転機になったのは、慶應大学日吉のキャンパスにできたスポーツ医学研究センターです。スポーツドクターというと、整形外科医というイメージも強かったのですが、ヨーロッパのサッカーチームのドクターはほとんど内科医だという話を聞きました。生活習慣病やメタボリック症候群などの研究も盛んに行われるようになり、これからは内科のスポーツ医学の時代だという話のインパクトも大きかったですね。
スポーツ医学研究センターで勤務し始めたころ、慶應大学のバスケ部の監督からチームドクターを探しているとの話をいただき、初めてのスポーツドクターとして仕事が始まりました。初めは、選手の体力のトレーニングや栄養サポートを行いました。もちろん体力トレーニングや栄養サポートも一定の効果を挙げることは出来たのですが、それだけでは選手は変わらない、チームは強くならないということに気づき、徐々に『心』のトレーニングに焦点を当てるようになってきました。今まで100チーム以上のメントレに関わってきましたが、その最初のチームは慶應のバスケ部でした。
メディカルドクターからスポーツドクターとしての活動がメインになってきて、エミネクロスの芽が出てきたのですね。
辻:そうですね。やはり「治りたい」という気持ちより「勝ちたい」という気持ちの方がよく解かるし、楽しいということですね。やっぱり決断の軸はスポーツでした。
一方布施先生は、野球を引退した後、ビジネス界で働き、再びスポーツの世界で働くことになりましたが、そのいきさつを教えてください。
布施:総合商社に入社し10年以上たったころ、大阪で事業投資会社の設立に携わったりと、商社の仕事は自分にとっても大変やりがいのあることばかりで、本当に朝から晩まで働いていました。一般的に長時間労働は悪いというイメージはありますが、本当にフローな組織で働いていたので時間感覚を失っていて、いつも気付いたら深夜まで働いていたという感覚です。本当に楽しく、有意義な時間でした。この経験は、私が次の挑戦へ向かうための自信になりました。
最初からスポーツ心理というわけではなかったのですか
布施:ビジネスのバックグラウンドもありましたし、エージェントやチーム経営などのスポーツビジネスに興味がありました。当時スポーツの世界に挑戦しようと決めてから慶應大学野球部時代に行ったアメリカキャンプの時にお世話になった、リチャード背古さん(当時テキサスレンジャーズ)にスポーツ界で働きたいということを相談しました。その時に、技術指導者ではなく現場で活躍している人がいることを教えていただきました。現場は技術を教えるコーチというイメージしかなかったので、そのような存在に驚きを隠せなかったですね。実際自分の目で確かめようと思って、いくつかの大学でスポーツ心理学者が選手の前で、指導している場面を見て、自分のやりたいことはこれだなと感じました。背古さんの進めもあり、どうせ勉強するなら北米で勉強した方がいいということで、ウェスタンイリノイ大学のスポーツ心理学専攻に進むことにしました。
ビジネス界からスポーツ心理コンサルタントへ大きく転進していったのですね
布施:そうですね。しかし、決してまったく違うものではなく、現在もチームビルディングに取り組むときは商社時代の事業投資会社社長を行ったときの経験や当時の上司の方々と作った組織の手法を参考にすることもあります。「スポーツ」と「ビジネス」と分野は違うようで、お互いにパフォーマンスを発揮するためのキーポイントは同じだったりしますからね。実際、大学院でスポーツ心理学の授業に参加している時に感じていたのは、スポーツ選手が競技力を向上させていく過程と、私がビジネスでパフォーマンスを向上させていった過程が非常によく似ていました。後ほどお話しすることになりますが、これがECJの誕生の要素の一つにもなったわけです。
メディカルドクター、ビジネスとまったくの異なる道に進んでいた二人の距離が再び徐々に近づいてきましたね。
布施:そうですね。私が留学をしようと決めるまでは大学を卒業してからは一度も会ったことはなかったはずです。前にも話しましたが、私の妻と辻先生の妹さんが親友だった関係で、ちょうど留学が決まったころに、妹さんからどうやら辻先生もスポーツ選手競技力向上のために、さまざまな角度からのアプローチをしているという面白い話を聞き、すぐに会いにいったのが再開ですね。
辻:そうだったね。まだエミネクロスが誕生して間もないころで、私も白衣を着ていたころだったかも知れないね。今も変わらないこの乃木坂のオフィスでお互いの思いやビジョンについて語りあったことを覚えていますね。当時はまだ布施君も留学前だったから、心理学の本を数冊読んだという状態だったはずだけど、どうやって選手のパフォーマンス向上をサポートするべきかについて議論し始めたらお互い止まらなかったのを覚えているよ。
布施:そうでしたね。辻先生がメディカルドクターから転進していたことにはびっくりしましたが、私もこれから旅立つという時でしたし、同志をみつけることができで心強かったですね。当時は留学することがほぼ決まったという時でまだ会社に勤めていましたので、会社終わってから深夜まで良く話していましたね。今も会議が深夜までいくことはよくありますから、あまり変わりませんね。
辻:確かに、一緒に働いている今と同じか、それ以上にあの時話をしていたかもしれないね。やっぱり、留学前も留学中もよく電話やメールで情報を交換し合っていましたから、一緒に働いている今より接触する機会が多かったんじゃないかな。
次回は、エミネクロス誕生からECJの誕生までの二人の活動と、ECJ誕生のいきさつについて話をしていきます。




